スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- : スポンサー広告 :

辞書から 6

「園(その)」
②場所。  例:「学びの園(=学園・学校)」

・(言いかえているということは)特定の位置と用途がある。

例に挙げられているように学校のことを「学びの園」としているのは「庭」の③[・・雅語的表現]と似ている。
しかし、それとの違いは客観的に捉えることができるという事ではないだろうか。
「庭」がある人だけにとっての主観的存在だったのに対して、具体的な用途があればそこは自他ともに認める「園」となる。
「学園・学校」は学ぶことに専念できるようにつくられ、そこは安全を確保された空間となっている。
「保育園や幼稚園」を挙げても同様に考えられる。
さらにそれは有害なものを除外するために区切り、土や花を育む人がいる①とも精通している。
つまり「園」とは 「危険を排除した中で人々の営みが平和に行われる場所」 だと言える。

つづく









スポンサーサイト
2015-01-30 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

辞書から 5

ひきつづき国語辞典をひいてみる。

その2 「園」

「園」(その)   
①花などを植える、一区切りの・地面。
②場所。 例:「学びの園(=学園・学校)」

①について考えてみる。
・ただの地面ではなく、花のための肥えた土がある。
・区切りがあるということは何かに囲われている。
・用途が明確。

これだけでまるで花壇のことを表しているようだ。
確かに部首の くにがまえ は周囲をぐるりと囲んださまを示す。
そして、中の「袁」は [ゆったりした衣服] を意味する。
という事は、囲まれた中に人がいる様子であるといえる。
しかし、花壇そのものを表すのであれば くにがまえ に草花を表す部首があればよい。
ところがただの人ではないところが面白い。
くにがまえ に「人」の場合は罪人がいる「囚」であるのに対して大きな違いだ。
花を植えるのは人であり、そのための肥えた土をつくるのも人の力によるものである。
有害なものを寄せ付けないように仕切られた区画の中で人が楽しく土を触るさまが垣間見える一文字だ。

つづく














2015-01-23 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

辞書から 4

いざ子どもあへて漕ぎ出むも静けし / さあ皆んな、もう漕ぎ出そう、海も静かであるから。/万葉集 388」

なぜ海のことを庭と表現しているのか考えてみると、
 海 → 漁場 → 「なわばり、territory」  
という洗練がなされていると考えられる。
古代より人は生活を支える食物を海に求めた。
それは農耕の時代となっても変わらず、収穫は一定のなわばりで行われる。
収穫は生きる上での喜びであり、感謝であり、自然の恩恵であった。
そしてその中での感性的世界を「庭」と表現したのだろう。
これは①「屋敷の中で・・・」と繋がり、②「農家の・・・作業場」とも合致する。
①では歓楽的、②では機能的に、そして③では元来の意味を総括して物語っている。
したがって、ある場所に「庭」としての意味が占有しているのは、草木、山・池ではなく、農家の作業でもなく、人の心象なのだといえる。
その証拠に③の例に挙げられている「学びの庭」「戦の庭」「庭の教え」は個別的主観性のみがその場面と状況を特定できる。
他力による偶発的なものであっても自らに降りかかる事が他者も同様に受け取るとは限らない。
「雅語的」でなければ表現できない所以はこれである。
しかし、それでは「庭」とは 「ある人 が生きる上での情緒的な関係を築くことの出来る状態になっている とある場所。」という意味になる。
これではあまりにも意義が深く広すぎてどうも捉えられない。

つづく

















2015-01-20 : 未分類 : コメント : 1 : トラックバック : 0 :

辞書から 3

「庭」
③特定の何かをする場所の意の雅語的表現。
例:「学びの庭」「戦の庭」「庭の教え(=家庭での教育)」
※「雅語」・・口頭語で使うとそぐわないが、詩歌・古文の表現に用いられた、洗練された和語。

・①②のような具現的な形はない。
・ある性格を持つ場所の代名詞。

詩歌・古文の表現の一例
〈万葉集 388〉
海神は くすしきものか 淡路島 中に立て置きて
白波を 伊予に廻らし 居待月(ゐまちづき) 明石の門(と)ゆは 夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を干(ひ)しむ
潮騒の 波を畏み 淡路島 礒隠り居て
いつしかも この夜の明けむと さもらふに 寐(い)の寝かてねば 滝の上の 浅野の雉(きぎし) 明けぬとし 立ち騒くらし
いざ子ども あへて漕ぎ出(で)む 庭も静けし


海神は奇怪なものか、淡路島を中に立て置いて、
伊予に白波をめぐらし十八夜の明るい明石の門から夕方になれば満ち潮にし、夜が明ければ干き潮にする。
潮騒の音を畏れ、淡路島の磯に隠れて居て夜明けはいつかと寝ずに居て、
夜を明かせば、海に続く滝の上の浅野にいる雉が、夜が明けたと鳴き騒ぐ。
さあ皆んな、もう漕ぎ出そう、海も静かであるから。

ここでは「海」を庭と表現している。

つづく













2015-01-20 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

辞書から 2

「庭」
②農家の前にある広い作業場。

・農家の活動にとって必要不可欠で常に機能に徹した場所。
・作業場ということは平らな土場である。
・①と比べると、何かを鑑賞するための創作はない。

歴史的な観点からすると①が庶民の手に入ったのはごく最近の事であるが、脱穀や乾燥など農作業の場としての庭は農家が農民だった時代から現代にも残っている。
仮に、②と①を混同してみると、広く平らであるべき土場に草木、山、池があると農作業の場として成り立たない。
逆の場合も同様で①が機能的な平地であれば視覚効果はないと見なされるだろう。
したがって①と②はその形状と存在から、同じ語句でありながら真逆の意味であると捉えても相違ない。

つづく










2015-01-16 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

辞書から 1

いたって素朴な興味から国語辞典でいくつかの語句を引いてみた。
すると、今まで思い込んでいた事とは異なり面白いのでひとつずつ整理してみたいと思う。

その1. 「庭」  (......意外なことに意味が3つも記されている......)
①屋敷の中で目を楽しませるように草木を植え、山・池を作った所。
②農家の前にある広い作業場。
③特定の何かをする場所の意の雅語的表現
  例「学びの庭」「戦の庭」「庭の教え(=家庭での教育)」


まず①について考えてみる
・範囲に限りのある敷地内で、草木、山・池を見ると楽しいと前提された視覚的な効果を目的としている。
・鑑賞するのは植物、地形、水を材料とした自然物の形態、もしくは自然現象である。
・創作された場所であり、生活機能として必要なわけではない。

自分を含め一般的には有無をいわず①こそが庭として認識されていて、この創作に精を出す。
しかし、②③がある限り①だけを定義とするには浅はかなのは確実だ。

つづく










2015-01-13 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
ホーム

プロフィール

さくらいやすとし

Author:さくらいやすとし
櫻井靖敏
サクライヤストシ
Yasutoshi Sakurai

最新トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。