スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- : スポンサー広告 :

邪道

偉人と呼べるような先人が発案し、後世に受け継がれる本道がある。
誰しもその道を極めようと修行を積むものだ。
自らの師を求め、伝承通りの概念を美意識として身につける事は立派なことといえる。
そこで芽生えるこだわりは間違いなく価値のあるものだと思う。
しかし、先人が見たらどうだろうか。
「わしの猿真似か?このへたくそ!」と言うかもしれない。
発案者である先人と同じ目線になれば、下手なこだわりは捨てざるを得なくなる。
古くから伝承されるものも元をただせば新しかったのだから、始まりは無垢の状態であるはずなのだ。
こだわりが邪魔をして本来の苦しみや楽しみを拒否してしまうのは窮屈だ。
無垢で空っぽになった方が色んなことを素直に受け入れられる。
そして本道とは離れ、堂々と邪道を始める自由を得ることができるのだ。
邪道に実りがあるかどうかはわからないが、少なくとも先人と同じ姿勢でチャレンジができる気がする。
スポンサーサイト
2012-09-08 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
コメントの投稿
非公開コメント

« next  ホーム  prev »

プロフィール

さくらいやすとし

Author:さくらいやすとし
櫻井靖敏
サクライヤストシ
Yasutoshi Sakurai

最新トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。